転勤族妻の「仕事ができない」本当の理由は?専業主婦の後ろめたさのなぞ

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転勤族・妻が「仕事ができない」って思う本当の理由ってなんでしょうか?

「体が弱いから」とか「子どもが小さいから」、「転勤族だから」という、誰かに理解してもらうための理由を言わなくてもよくなるにはどうしたらいいのか

・・せめて自分の心の中では、そういう「事情」じゃなくて、ちゃんとした「理由」があって選んでいるんだ!と胸をはりたい。

本当は、知らない人のために理由や言い訳を考えるのなんて超めんどくさいです。

でも、何かやりだまに上がるたびにTwitterとかの全然知らない他人に心をざわつかせるのも嫌!!

できれば「一言」で叩き切りたい。笑

私の今のとこの最適解は、「仕事ができない」のでもなく、「仕事をしない」のでもなく、夫の仕事を「一緒にやってる」

やってることは同じに見えますが、1人の仕事は「2人の仕事」で、トータルで「ハッピーな暮らし」をするために、役割分担したら我が家の場合はそうなった。

周りに何か言われても「我が家は二人でそう決めたんです」

このゴールを目指して、この記事で一緒に突き詰めて考えてみませんか?

目次

転勤族妻が仕事ができない「本当の理由」=夫婦二人で共同経営

まずは、「目標」を変えます。

変えるというか「再設定」します。

転勤族の妻な自分自身も仕事をして、共働きの状態を目標にするのを一旦やめます。

で、新しい目標は・・

二人で快適な「暮らし」を実現すること

その目標のために、「収入」があるし、家があって、その中での家事がある。

そのために、「役割分担」をして「1つの家庭」を共同で経営していこう。

そう考えてみると、ちょっと面白いと思いませんか?

「二人」の仕事と考える

夫の仕事は「二人の仕事」と考える

「仕事ができない」のでもなく、「仕事をしない」のでもなく、夫の仕事を「一緒にやってる」と考えてみます。

そう思ったのは、友人から「あるご夫婦」の話を聞いたから。

そのおうちは、夫・会社員、妻・専業主婦なんですが、奥さんは旦那さんの仕事を「自分の仕事として」一緒に楽しんでいるのだそう。

旦那さんの職場にも奥さんがついて行ったり・・、と話を聞いているだけでかなり楽しそう。

充実度が伺えましたし、っていうかもはや奥さんも仕事一緒にしてるよね?と感じました。

このお家の場合、旦那さんのお仕事がクリエイティブ寄りなので、会社員家庭にはそのまんまコピーは難しいかもしれません。

ですが、大枠の考え方は真似できるんじゃないでしょうか。

別に一緒に飲み会についていくとか、上司に紹介されるとかじゃなくても、「自分の仕事」として考える。

「自分の仕事」でたまたま直接やりとりするのは旦那だけど、後方支援を「自分ごと」として徹底してやる、みたいな。

極端にいうと、イチローと奥さんみたいなね。

スポーツ選手と奥さんの関係みたいなのだって、普通の家庭であってもいいんじゃないかと。

スポーツ選手ほどじゃないから・・なんて言わず。

いや、今の時代、サラリーマンだって生きづらいですよ。

本当に。長く続けるってすごいです。

(続けられなかった私が言う)

後方支援ってマジで大事

ちなみに「後方支援」には意味があると、これは私自身の経験からはっきり言えます

フルタイム深夜残業・土日出勤のときの私が一番欲しかったのは、休日でも、お金でもなく・・後方支援だったんだなと今は思います。

詳しくはこちらの記事で、正社員だった頃の惨状を語ってます(↓)笑

大体朝早くから夜遅くまで働いて、挙句・健康だの睡眠だのなんだのかんだのと・・1人じゃ無理っす。

で、運良く二人でいるなら協力すればいいじゃないか。

せっかく二人でいることを選んだんだもの。

まぁ9時〜17時で、職場が家近く・二人とも穏やか前向き元気いっぱい!ならそれはそれでいいんだと思います。

っていうか願わくばそうありたい!!

とか、大変を超えてもやりたい仕事がある・・とかね。

ただ、現実的には、どちらかの仕事を減らして補い合うか、減らせないなら外から力をお金で借りてくる・もしくは親兄弟を頼る・・

その割合の違いや外・中の差でしかないと思うんです。

もはや。

さらに言えば、誰かと一緒に暮らすことには「感情」や「心」が切っても切り離せません。

役割分担以上に大切に、時間をかけて、きちんと「守る」ことが必要だと私は思っています。

「すれ違い」や「余裕のなさ」をめちゃくちゃ慎重にケアしないといけない。

なんかその辺、すぐデータが、どっちが損得ーーみたいになって、どうしても抜けがちですよね。

専業主婦の生涯損失・・なんて話もありますが、それってどんな仮定で出してるんでしょうかね。

生涯独身で、一生元気で、ご飯も家のことも全部自分でやって・・とかですかね。

その仮定の下に働いたAさんは、今、元気なんでしょうか?

仕事続けられているんでしょうか?

病気は一度もしなかったの?で、今は?と聞きたい。笑

実際、収入と幸福度は比例しない・・なんて研究も。

ちょっと極端ですが、昭和のサザエさん一家、ちゃんと幸せそうだもんね。

「料理」「仕事」「掃除」言葉は同じでも中身は違う

「家事」と一括りにすると、どうしても雑に扱われがちになっちゃうのは、人によってその意味が違うからなんだと思います。

実家暮らしでそのまま結婚した人の「家事」とか、独身者の家事ってやっぱり意味が違いますもんね。

「お母さんがやってくれる」のは多分「当たり前」だし、「自分のためなら雑でOK」もありです。

ですが、いざ「他人のために自分でやること」は結構中身変わってきます。

なので、もう人の家と比べるんじゃなくて、自分の家ベースで比べるのが一番現実的じゃないかと。

人の家はそれぞれ・・と言われる理由の中には、「人の能力はそれぞれ」という言葉が大いに含まれていると思うからです。

二人ができることの中で、話し合って譲り合ってやるしかないってこと。

例えば、私の場合。

共働きのとき

フルタイムの共働きをやりました。

夫の会社は電車で15分。私は片道1時間半。

まぁ当然ですが、帰ってきたらもう疲れて倒れます。

明日朝起きるので必死。

ごはん作る時もありましたが、大体作り置きとか、スーパーのお惣菜とかです。

洗濯も週末まとめて。

掃除も週末まとめて。

買い物もまとめて。

高いとか安いとかいってられない・今日しかない。

でも仕事は楽しかったし、家事もなかなかやれてる私!って思ってました。

専業主婦のとき

で、現在。

私の方が専業になったので、時間に余裕ができます。

ごはんは夫のお弁当まで作るようになりました。

ごはんが私の「仕事」みたいなところがありますから、よっぽど二人で遅くまで出かけてるとき以外は、スーパーのお惣菜が後ろめたくなります。

時間がないことを言い訳にしていたときは、「テキトー」も正義でしたが、専業となれば、それなりに毎日ちゃんとしなければ・・というか自分がちゃんとやりたい。

頭が火を吹きました。

うーん今までもご飯作ってたんだけどな・・くらい。

感覚が変わってちょっとびっくりしています。

洗濯もこまめに。

掃除もこまめに。(下手だけど)

前の家が汚いのは、家が古いからって思ってたんですが・・どうも違った。笑

あと、スーパーって土日が安いんじゃないんだ・・!みたいな新発見。

(え、知らないの私だけ?)

平日の特売日との値段が違いすぎて、今までどれだけやらかしたんだろう・・としばらくは結構凹みました。

てな感じで、「同じ人間」でも環境が変わればこれだけ変わります。

どっちがいいか、悪いかじゃないです。

どっちも楽しさや面白さがあったし、大変さも不満もあります。

で、言いたいのは・・・

「掃除」「料理」「仕事」っていうふうに同じように括られた中のことをやっていても、その時々、その人それぞれで実際の「中身・内容」は大きく違っています

「家事」と「仕事」でくくって分けるなんて出来ないわけです。

転勤族妻が専業主婦を選んでも後ろめたくない理由

じゃあどうしましょう?ということで。

転勤族妻が専業主婦を選んでも後ろめたくない理由を、会計をやってきた人間っぽく家庭を会社に例えて考えてみます。

少人数が集まってミーティングする写真

家庭も前方部隊と後方支援があって成り立つ

会社には、直接部門と間接部門があります。

直接仕事を取ってきて、利益に結びつくような営業とか、製造とかが、直接部門。

一方、営業さんが持ち帰ったものを文書化して整理したり、お金の計算をしたり、人事を考えたり・・。

会社にはそういう「裏方」さんもたくさんいます。

これが間接部門。

間接部門は、直接お金を生むわけではありません。

が、ここがいないとそもそも直接部門の仕事が成り立ちません。

家庭で言えば、直接部門が「会社の仕事」。

間接部門が「会社の仕事を支えるための家事を含めた庶務」という感じ。

間接部門をすぐないがしろにする会社もありますが、まぁ「ないと困るの君だよ?」って思いますね。

会社の場合は「利益」を出して長く運営していくことが大事。

家庭の場合はこの「利益」は「快適な生活」そのもの。

手垢のついた言い方すれば「幸せ」ってことですかね。

それを長ーーく続けていくこと。

そのためには「お金」もいります。

でも、それだけじゃ「快適な生活」にはなりませんよね。

衣食住がきちんとあって、しっかり互いに支え合って、たまにはぶつかりながらも、長く長く一緒に生きていく。

大変そうだけど、一人で全部やらなくていいのは、実はこの時代、めちゃくちゃ心強いわけです。

一番わかりやすいのは「辞令」の瞬間

家庭を「会社みたい」って思ったのは「転勤の内示」が出た時でした。

辞令が出たところ

ラインもらった瞬間に、物件を調べ始め、物件を調べたら、次はいつ内見に行こう・・内見の日が決まれば新幹線を手配して、ホテルも予約して・・・。

引っ越したら引っ越したで、手続きして家具受け取って、周りの環境を調査して・・・。

という具合に、なんかもう「秘書」っぽくないですか?

こういうのを「家事」とか「家のこと」って言っちゃえばそれまでです。

でも、住民票移さなかったらダメだし、免許の住所更新しないと使えないし、でも土曜日の開所は混んでるし・・とか「誰か」がやらないと生きていけません。

いや、独身時代は一人でやってましたよ。

でもわざわざ休み取って行ったりしましたし。

それを「業務」として片方がまとめてできるなら、これってかーーなり有難い。

「仕事」しなきゃ生きていけないけど、仕事だけしてて生きていけるようには世の中なっていません。

本当は一人でやらなきゃいけないことを、「誰か」と一緒に分担してやることができる。

それが「家族」だったり、「誰かと一緒に暮らす」っていうことの意味なんじゃないかと思っています。

転勤族妻が専業主婦には責任と重圧も

ただ、「一緒に仕事をしている」・・というのは自分を追い込むことでもあります。

夫の転勤に「ついていく」のか「付き合わされる」のか

夫に転勤の辞令がでたら、すぐ動き出せるのはそれが「自分の仕事」だから。

「付き合わされる」というのは受け身ですよね。

文句言ってればいいので、辛いけど、楽です。

が、「私が」ついていく・・となるとそれはもう私自身の責任で「選んだこと」になります。

たとえ、天からの啓示並みにどうしようもない、突拍子も無い「辞令」(命令?)だとしても。

それを面白がって「よっしゃ、次はそこか!」と自分から進んでいかないといけません。

それが自分の「仕事」だし、「役目」だし。

・・少なくとも今は。笑

そんな感じで考えていくと、優先順位が自分の中でつきやすくなります。

なんでも選んでいいよの時代は、反対に何を選べばいいのか分からなくなる時代。

いいのか悪いのかよくわかりません。

もうちょっと基本的なベースがあったほうが、考えなくていいから楽かも・・って思うことも。

少なくとも私の場合は、「夫の仕事」は「自分の仕事」でもあるので、「夫の会社は私の会社」です。

転勤しろっていう命令は、絶対です。笑

正直、自分「も」仕事を・・と思った時に、正社員が選べない・・とか、またすぐやめなきゃいけない・・と思ってました。

が、正社員は「夫の仕事」でやってるので、「仕事」がやりたければ出来るだけ動きやすいところで、身軽なことを探せばいいのかなと考えも変わってきました。

初めはしょうがない・・でしたが、それはそれ。

「二人の暮らし」のトータルで、マルが自分で付けられればそれでいいのかなーーと今は思っています。

100%の納得を目指さなくてもいい

で、多分ですが「いつも100%納得している」なんて無理です。

やっぱり夫が仕事をしているのがいいな・・と思う時もあるし、反対に夫だって、私のこといいなって思っていると思いますし。

そんなモヤモヤの答えが、映画「すずめの戸締り」の中のシーンの1つにある気がします。

(ちょこっとネタバレなので、知りたくない方は飛ばしてください)

主人公の「すずめ」は小さい頃から「おば」に育てられています。

母親ではない「おば」に対して、その人生を奪ってしまったのではないかという罪悪感をかかえる「すずめ」。

一方で「おば」も「すずめ」を大切に思いながらもどこかに「すずめがいなければ」という想いがないわけではない。

でも、「全部じゃない」

多分ここが大事だとおもうのです。

感情や心にはグラデーションがあって、いろんなものが混じり合ってバランスを変えながらうごめいています。

「すずめがいなければ」と思うことの100倍、「すずめがいてくれていよかった」と思う気持ちがある。

でもどこかに「もしいなければ・・」と思う気持ちもある。

それが「現実的」な人間の感情なんじゃないでしょうか。

「転勤族で、自分の仕事ができない・・続けたかった・・旦那ばっかりいな」と思う暗い気持ちや黒い気持ちもあります。

自己犠牲みたいなね。

でも、この人と一緒に暮らしていくことが楽しいという気持ちもあるし、私はその分、どこでバランス取ろうかしら、恩返ししようかしら・・と思う気持ちもたくさんあります。

反対に、夫の方にだって「なんで俺ばっかり」みたいな気持ちが0かって言ったらそうでもないと思いますし。

大体納得してても、「いや俺も家にいたい」とかはあるはず。

そういう意味でも、今はこの形だけど、「交代したい」って言われたら、それはそれでありかなとも思ったりしています。

その場合は、マジで全力後方支援を要求しますが。笑

まとめ

どんどん時代が複雑に難しくなる中で、1つだけを手に取って悩むことに、あまり意味がなくなってきているように思います。

にもかかわらず、「専業主婦」とかいうと、「夫は外で・妻は家庭で」みたいな昭和かよとすぐ結びつけられちゃいます。

そこで「会社経営方式」。笑

「仕事ができない」のでもなく、「仕事をしない」のでもなく、夫の仕事を「一緒にやってる」

やってることは同じに見えますが、1人の仕事は「2人の仕事」で、トータルで「ハッピーな暮らし」をするために、役割分担したら我が家の場合はそうなった。

みたいに切り替えちゃうと結構気持ちが楽になります。

周りに何か言われても「我が家は二人でそう決めたんです」と言っちゃえば、「子供が・・」とか「体調が・・」っていうより、相手を黙らせられるんじゃないかと。

いや、もしかしたら嫌味の一つでも言われるかもしれませんが、何より、自分が納得できます。

内心「ほっとけ」って言いたいのをグッと我慢して。笑

どういうふうに「いい暮らしの形」を作っていくのか、二人がちゃんと納得していることなんじゃないかと。

(いや、ときどきは「おい」って思ってるかもしれないけど)

ちゃんと話すなり、空気なりで役割分担できていれば、何か不意に事件が起きたり状況が変わっても、またそこに合わせた2人の形を考えていけるんじゃないか。

その強さと柔軟さをずっと大事にしていけばいいのかなーーなんて思います。

少なくとも私の生涯年収は、「夫の給料」÷2だよね。とこっちから堂々と言えるくらい頑張らねばな、とは思います。

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